会員寄稿文

・防災活動という絆づくり(篠原憲一)

・防災活動という絆づくり(山田美智子)

市民による地域防災の活動(山田美智子)

・防災の目で見たまち歩き ~横浜駅西口編~(相原延光)

・神奈川県平塚市での関東大震災の跡 ~慰霊碑巡礼の記録~(武村雅之・篠原憲一) *会員専用ページに移動しました。


防災活動という絆づくり(篠原憲一)

図1 ひらつか防災まちづくりの会       
図1 ひらつか防災まちづくりの会       

ひらつか防災まちづくりの会前代表 篠原憲一

Cultivation of ties among people through the disaster mitigation activities

Kenichi Shinohara (Hiratsuka-bousai-machidukuri-no-kai)

 

はじめに

 平塚市は神奈川県のほぼ中央、相模川右岸(西側)に位置し、相模湾沿いのリゾート地として全国的に有名な「湘南」地域の中心都市の一つとして、約26万人弱の市民が住んでいます。

 市民生活を支えている大地は南部の砂州・砂丘地帯と北部の自然堤防地帯とに分けられます。前者は約6500年前の縄文海進期以降の海退に伴って海岸に形成されたもので、東西方向に連なる砂州・砂丘列の高まりとその背後の堤間凹地がセットとなり、海岸から北に5㎞離れたところまで十数列が分布しています。後者の自然堤防地域は、河道に近い場所は砂礫質な地層からなりますが、多くは特有の砂質泥層が見られます。水はけがいい自然堤防上には古くから道が開け、集落と畑地や果樹園として利用されてきましたが、水はけが悪い後背湿地は水田として利用されてきました(平塚市博物館公式ホームページより一部転載)。

 平塚を襲った最大の自然災害は「関東大震災」です。誘因となったのは、1923年9月1日11時58分の小田原とその沿岸付近を震源とするM7.8 と三浦半島南部一帯を震源とするM7.8 の連動地震に始まり、3分後の東京湾羽田沖を震源とするM7.3、その2分後の山梨県東部山岳地帯を震源とするM7.2の余震が起きた4つの地震からなる1923年大正関東地震です。平塚市域では死者476名、家屋全壊4192戸(全壊家屋30%以上、推定震度7)と大きな被害になりました。家屋倒壊率を見ると、震源に近い小田原の酒匂川下流域と、平塚北部〜厚木南部にかけて全壊率が高くなっています。これは、砂州・砂丘列より自然堤防地帯の方の軟弱地盤層が厚いことを反映したものと考えられています。この地盤がいいとされる砂丘列でも、強い揺れが原因で、煉瓦造りであった紡績工場の建物が倒壊し、146名が圧死しました。地震後約1m隆起して砂浜が出現し海水浴ができましたが、まもなく海岸浸食と沈降が原因でできなくなりました。

 戦時中は、第二海軍火薬廠の他、日本国際航空工業・横須賀海軍工廠平塚分工場・第二海軍航空廠など、大規模な軍需工場が集中した軍事都市でした。昭和20年7月16日の空襲により市域の60%近くが破壊されましたが、戦後防災上の観点等から広い幹線道路と区画整理により、市街地化が進行しました。

 

ひらつか防災まちづくりの会の活動

 

(1)初期の活動 

①2003年1月~2004年3月

 きっかけは、神戸市にある「人と防災未来センター」が作成した阪神淡路大震災の発生の瞬間の特撮再現映像を見て強い衝撃を受けたことでした。映像を見た10人ほどは、それぞれの思いをもって活動を始めました。小学生をもつ母親たちは早速PTAを動かし、防災対策検討会を開催。学校にだけに任せておけないと、子供達と一緒に夏休みに通学路の点検を始めました。中学生をもつ母親たちも阪神淡路大震災を体験した会員の体験談を聞くミニ集会を開くことを始めました。団塊の世代のサラリーマンたちは自宅の家具の固定を始めるとともに、身近な人たちに耐震補強の必要性を訴え始めました。これらの別々に始まった活動がまとまるきっかけとなったのが「公益信託・ひらつか市民活動ファンド」でした。個別に応募するよりも、より多くの成果を上げるために連携して応募しようということで当会が結成されたのです。「自分と自分の家族をどのように守っていくか?」誰もが地震防災を考える上で最も大切な視線でありながら、地域での防災ではあまり実践されていなかったことがきっかけでした(中橋、2006)。

 内閣府による「平塚地区防災まちづくり」モデル事業対象となり、自治会、NPO、福祉団体等と連携し、様々な活動を実施、普及活動としては、ニュースレターの発行、防災講演会、防災出前ミニ集会、防災イベント、防災まち探検、耐震診断や新補強工法制度化の検討会などを実施し、耐震補強を推進しました。

② 2004年4月~2005年3月 

 防災七夕飾りの制作、防災かるたの制作や外国人のための防災マニュアルの作成を行うなど多岐にわたる活動を展開したことが認められ、「第9回防災まちづくり大賞」一般の部で、総務大臣賞を受賞しました。

 

(2) 最近の活動

①平塚市との協働事業(4年継続)

 行政提案型「防災フォーラム」(2009年度から2年間)、市民提案型「防災活動者育成研修」(2011年度から2年間)、防災ニュース発行、防災懇談会を開催しました。4年間の協働事業の後も防災ニュース発行と防災懇談会は必要と考えて当会単独で継続してきています。また平塚市の担当部所とも引き続き連絡を取り、支援協力をもらいながら活動をしています。

②神奈川県との協働事業 

 相模湾アカデミー事業(2007年度から2014年度) 

 湘南平を歩く、平塚の関東大震災の石碑巡り、平塚市の砂丘を歩くなど。

※アカデミー事業は2014年度で終了となりましたが、その後も会単独で防災まち歩きは継続中。また神奈川県とは2013年度から神奈川県民センターでの県内自治会リーダー層研修講師を受託中。

③学校防災教育

 ○小学校での防災キャンプ<平塚、長野>

 ○小学校での防災教育<平塚、小田原、長野=お話し、かるた、実験、クイズ、運動会、その他>

 ○中学校でのSPPのサポート<平塚、千葉=防災講演>

 ○高校生への防災教育<平塚、茅ヶ崎、小田原、南足柄、長野=DIG>

 ○学校教員とのワークショップ<平塚、小田原、南足柄、=DIG、クロスロード>

 ○ガールスカウトと防災を考える

④東北被災地支援

 被災地訪問、支援物資届け、被災地物産販売、その他を市内諸団体と協力して実施

 

 (3) おわりに

 本会は12年間で、現会員数約50名以上になり、現在では大学教授、防災研究者、建築士、弁護士、相談員、教員、学生、主婦など様々な階層からなる市民団体として、様々な切り口で防災活動を展開できるようになりました。3・11震災で津波対策への関心が高まりましたが、防災意識は急速に低下しているように思えます。今後もスタート時の「普通の主婦」「普通のサラリーマン」の視点を忘れず、自治会の自主防災活動や学校団体や青少年団体への普及活動を通し、人と人の絆づくりのために取り組んでいきます。

 

[引用文献]

 平塚市博物館公式ホームページhttp://www.hirahaku.jp/  「相模平野の微地形」

 中橋徹也(2006):安全・安心なまちへの提言(7).地方自治職員研修2006.11.P60~61


防災活動という絆づくり(山田美智子)




































市民による地域防災の活動(山田美智子)




















このPPTプレゼンテーション資料は、2018年1月13日に平塚市美術館で開催された「防災フォーラム@平塚」において、著者の講演資料として発表されたものです。


防災の目で見たまち歩きー横浜駅西口編ー(相原延光)


連絡先

Tel/Fax:(0463) 31 - 2161(代表:山田美智子)

E-mail:goten463star@gmail.com